南嶽は坐禅をしているぱそ馬祖に対して質問した。「そなたは、坐禅して、なにごとを図るのであるか」その問いについて静に思索するがよい。1坐禅より上になにか意図するところがあるのか。2坐禅より別になにか意図するところがあるのか。3あるいは何も意図するところがあってはならないのか。4坐禅してどんな図を心に描がいているか。さこを審らか考えてみるがよい。((道元:正法眼蔵・坐禅箴)
万葉集56「ささなみの 国つ御神の うらさびて 荒れたる都 みれば悲しも(さなみの地を支配する神の衰えて荒れてしまった旧都をみると悲しい)
万葉集57「白浪の 浜松が枝の 手向草 幾代までにか 年の経ぬらむ〈白浪の寄せる浜辺の松の枝に懸けられている手向けの幣は 幾代までに年月が経過していることであろう)