「学坐禅は、学坐仏である。」初心の坐禅は、はじめての坐禅であり、はじめての坐仏である。」もし坐禅を学ならば、坐禅は坐臥ではない。」(道元:正法眼蔵・坐禅箴)

万葉集「釧(くしろ)著(つ)く 答志(とおし)の崎に けふもかも 大宮人の 玉藻刈るらん」(答志の4崎に きょうあたりは、大宮人が美しい藻を刈っていろことであろうか)