「宏智禅師正覚撰」坐禅箴のしめすところは、坐禅の自由自在の働きをかたっている。それは言葉や形を超えたところの作法であり、またとおく今昔を超えたところの定則である。そこには世間の人々のいう仏祖のすがたはなく、そこには、もはや我が身もわが心もなく、そこにはただ、見馴れぬ異形の人があるのみである。()
万葉集「朝毛吉 木人乏母 亦打山 行来跡見良武 樹人友師母」「あさもよし 紀人とみしも 真土山行き来と見らむ 紀人ともしも」(紀の国の人は羨ましい 真土山を往来に眺めるのであろう紀の国の人は羨ましい(正法眼蔵・坐禅箴)