「行仏2」この行ずる仏は、事々のうえに律儀を実現し、物々のうえに作法実現するのであるから、その身のまわれにぴたりと律儀作法があらわれ、さの言葉の上に自ずからその人となりが滲みでるものである。それが時をえらばず、処をえらばず、人をえらばず、亦行為をえらばないのである。もしそのような行仏でなかったならば、まだまだ仏傳や法執を抜けきることは出来ないのであって、仏魔・法魔のたぐいとなるほかはあるまい。(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

万葉集「霰打 安良礼まつばら 住吉之 弟日娘與 見礼常不飽香聞」(あられうつ あられまつばら すみのえの おとひとおとめ みれどあかぬか)「霰の散る安良禮松原を 住吉の弟日娘子と共に見るに 誠に見ても見ても見あきないものだ」