「行仏」行仏は束縛に囚われない物である。そのため「われもとより菩薩道を行むじてそれは今になおつきない永遠無限自の正命である。というので雨・4詰まり一切の時が今ここに現れているということである。そして全ての根本は修証なあるのである。修証は行ずることである。修証は無でもなく有でもなく有無を超越した有無をあらしめるのである。修証は修証の他のなにもないのである。修証は行仏である。(道元:正法眼蔵・行仏威)
万葉集「旅尓之而 物恋之伎尓 鶴之鳴毛 不所聞有世者 孤悲而死萬思」(たびにして ものこいしきにたずがねも きこえざりせば こいてしなまし)「旅にあって、者恋しく思っているに あの鶴の聲も聞こえなかったならば 恋死にもするこてであろう」