行仏の功徳「行仏の功徳は広大無辺ではかりしれることはできない。それは華が開いた時のように、それは春野一面にすぎない。しかし春のすべては開花のみで春が現成している。それと同じく心と名づけるものを尺度として、心という概念的なものを捉えて威儀即部仏法という体験をさぐり、それを当てはめて考えてはならない。それは調度華いて世界起のようなものである。(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

万葉集「大伴乃 美津能濱尓有 忘貝 家尓有妹乎 忘而念哉」(おおともの みつのはまなる わすれがい いえなるいもを わすれておもえや)「大伴のみ津の濱にある忘貝のその名のように 故郷の家にある妻のを思い忘れるということがあり得ようか)