「火焔の中とは」火焔はとりもなおさず諸仏が法輪を転ずる大道場なのである。それは世界や時間や人間や、あるいは、凡夫だ聖者だなどという規準でもって測ろうとしても、到底測りしりうるものではない。そしてそういった尺度では測れないから、いま雪峰はずばり「三世もろもろの仏たちは、火焔の中尓あって大いなる法輪を転ずる」というのである。(道元:正法眼蔵・行仏威儀)
万葉集「吾妹子乎 早見濱風 倭有 吾松椿 不吹勿勤」(わがもこを はやみはまかぜ やまとなる わをまつつばき ふかざるなゆめ」〈我が思ひ妻を早く見たいと思う、その早み濱風と呼ばれる、早く吹く濱風よ、大和にある待つという名の松や椿もふいてくれ。)