「転法輪とは」転法輪とは必ずしも説法することではなく、また説法とはかならずしも他の為にするものとは限らない。ただ有るものを有る有らしめ行を行として行ぜしめることが大法輪を転ずることである。自他の対立を超越した境地なのである。転ずるものを転ずるにすぎない。(道元:正法眼蔵・行仏威儀)

万葉集「見吉野乃 山下風之 寒久尓 為當也今夜毛 我獨宿牟」(みよしのの やまのあらしの さむけくに はたやこよひも わかひとりねむ)「吉野の山の荒い風の寒いことであるのに、あどうやら今夜も私は独り寝をすることになろうか)