「教外別伝は仏教ではない」或男は教外別伝、直指人心、見性成仏こそ一心なであり、経というのは機に応じてのたわむれの議論出合ってその一心こそ真実の道理である。」というがそれは決して仏教ではない。いったい、仏の正法の眼晴をじきじきに伝えられた仏祖が、どうして仏の経えを伝授しなかった筈がなかろう。ましてや釈尊がなんとしてか仏経にあるべからざる教法を設けられるはずがあろうぞ。仏心というのは仏の眼晴である。正伝とは自己から自己につたえるのである。だから正伝の中に自己があるのである。(道元:正法眼蔵・仏教)
葉集「飛鳥 明日香能里乎 置而伊奈婆 君之當者 不所見香聞安良武」(とぶとりの あすかのさとを おきていなば きみがあたりは みえずかもあらむ)「明日香の里をあとにして去ったならば、君の家のあたりは見えなくなるであろう」