「三乗の縁覚乗」とは 十二因縁を観じてついに完全なる涅槃(煩悩を滅した境地)にいたるのである。十二因縁とは、一つには無明、二つには行、三つには識、四つには名色、五つには六入、六つには触、七つには受、八つには愛、九つには取、十には有、十一には生、十二には老死である。この十二縁を観ずるには過去・現在・未来にわたって、主観の側から論じ、また客観の側から論じゆくのであるが、そのいちいちの関係をあげて究めることは、また総じて要せざることである。たとえば無明もまた心であれば、行や識も心である。無明が滅すれば、行や識なども滅するし、無明が静になれば行・識も静となる。
老死の問題を仏陀が十二の項よりなる関係性をもって説明したものである。無明とは無智、行とは意向、識は意識、名色は物的存在、六入は認識の対象、触(そく)とは認識の成立、受は感覚、愛は欲望、取(しゅ)は執着、有(う)は人間の存在であり、かくて生があり、老死のおそれ(苦)がおこるのである。(道元:正法眼蔵・仏教)
万葉集「皇者 神二四座者 天雲之 雷之上尓 應為流鴨」(おおきみは かみにしませば あまくもの いかづちのうえに いわりせるかも)「天皇は神であられるので 天雲に鳴る雷の上に庵をしておられることだ」