「波羅蜜とは」到彼岸のことである。彼岸は此処にあり彼処にありというもりのではないが、なお到ることができるのである。その到るというのが仏道の大事な問題である。修行の彼方の岸に到るであろうと思ってはならない。かなたの岸に修行があるから、修行すれば彼岸にいたるのである。その修行はあやまつことなく、如何なる世界をも実現する力をそなえているからである。(道元:正法眼蔵・仏教)
万葉集「皇者 神尓坐者 真木乃立 荒山中尓 海成可聞」(おおきみは かみにしませば まきのきたつ あらやまなかに うみをなすかも)「 皇子は神でいらっしゃるから、真木の繁る人気の無い山中にも、海をお作りになることよ」