「十二分教の本質」十二部はすべて経と称する。。それらはみな仏祖の眼晴であり、仏祖の骨髄であり、仏祖のいとなみであり、その光明であり、その光輝であり、その造くりなす国土である。従って十二分教をみることは仏祖にまみえることであり、また仏祖を語ることは、十二分教を語ることに他ならない。(道元:正法眼蔵・仏教)
万葉集「如聞 眞貴久 奇佐居賀 許礼能水嶋」(きくがごと まこととおとく くすしくも かみさびおるか このみずしま)「かねて聞いているように ほんとうに貴く霊妙に神々しく居ることよ この水島は」