釈迦牟尼仏はいった「わがこの九部の法は、衆生に随順して説いたものである。大乗に入るにはこれを本とする。その故をもってこの経を説くのである。」われといい、これというのは如来その人である。つまり釈迦牟尼仏の一句一偈が九部の法であり、「わが」説く「この」法であるから「衆生に随順して説く」のである。すべて生きとし生くる者の生は、ここより生ずるのである。それがそのままこの経をとくことである。(道元:正法眼蔵・仏教)

万葉集「奥浪 邊波雖立 和我世故我 三船乃登麻里 浪立目八方」(おきつなみへなみたつとも わがせこがみふねのとまり なみたつめやも) 沖の浪や岸辺の浪が立っても あなたのみ船の泊てる港に浪がたちましょうか」