「神通は仏者にとって日常茶飯のことであり、諸々の仏はいまももこれを怠ることがない。これに六神通があり、一神通があり、無神通があり、また最高の神通というものがある。もろもろの仏は朝暮にこれをおこなっており間断するところがない。(六神通とは、神足通、点眼通、天耳通・地心通・宿命通・漏れる尽通をあげるのが常であるが、道元の所見はいささか異なる。仏教おいていうところの尽通は、仏の智慧の妙用にほかならならぬのであるからそれは一に帰して一神通ということみーもできる。その智慧を他にして神通はないから無神通といいうこともできる。さらに智慧そのものを指さして云えば最上神通すということができる。(道元:正法眼蔵・神通)

万葉集「珠藻苅 敏馬乎過 夏草之 野嶋之埼尓 舟近着奴」(たまもかる みぬめをすぎて なつくさの のしまのさきに ふねちかづきぬ )「玉藻苅る敏うまの海を後にして、夏草の繁る野島の埼尓舟が近かづいた。」