「仏家の茶飯の神通」大潙禅師は釈迦牟尼より数えて三十七世の祖である。あるとき横臥していると仰山がやったて来た。それを見て大潙は、面をめぐらして壁の方向いた。仰山がいった「私は和尚の弟子でございます。ご遠慮なさろぬともよいではございませんか。」仰山が出て行こうとすると、大潙は起きあがり、「おお慧寂よと、よびとめて、  わしは夢をみていた。一つ聞いてくれ。仰山が頭をさげると、「では今の夢を解いてもらおうか。」すると仰山はつと立ち上がって盆に水をいれ、手巾を添えて持ってきた。大潙はそれで顔を洗った。洗面が終わり坐ったところ、香厳がやってきた。大潙は入った。「今、わしは慧寂と一場の神通を行じていたところだ。ちっぽけな神通ではない。そなた、こころみに言ってみるがよい。」すると香厳は、一椀の茶を点てて来た。「そなたちたち二人の神通は、はるかに舎利弗・木連よりよりもすぐれている。」

万葉集「稲日野毛 去過勝尓 思有者 心恋敷 可古能嶋所見」(いなびのも ゆきすぎかてに おもへれば こころこいしき かこのしまみゆ)「稲日野も行き過ぎかねて思っているのに、心惹かれる加古の島が見える。」