「仏教における神通」仏道は必ず神通によって達するのである。その達しえたる時には、一滴の水も巨海を呑吐するのであり、微細の一塵も高嶽を捉えまた放つのであって、それは誰も疑うことができない。それが即ち神通なのである。(道元:正法眼蔵・神通)

万葉集「 何時間毛 神佐備祁留鹿 香山之 鉾榲之本尓 薛生佐右尓」(いつのまも かみさびけるか かぐやまりの ほこすぎがもとに こけむすまでに)「いつの間にこんなに神さびたことであろうか。香具山の鉾杉の本にこけが生えるまでに」