「仏祖と大悟」仏祖の大道は綿々として間断無く伝えられ、そのすぐれた業績は坦々として到るところに顕われている。ある時には、大いなる悟りを顕現し、ある時には、悟らずして道に至り、ある時には悟りを省みてこれを拈弄し、またある時には、悟りを放却して自在の境地にあそぶ。それが仏祖たちの常日頃のならいである。(道元:正法眼蔵・大悟)

万葉集「八隅知之 吾大王 高輝 日之皇子 茂座 大殿於 久方 天傅来 白雪仕物 往来乍 盆及常夜」(やすみしし ほがおおきみ たかてらす ひのみこ しきいます おおとののうえに ひさかたの あまつたえくる ゆきじもの ゆきかよいつつ いやとこよまで)「八隅を知ろしめすわが大君、大空高く照らす日の皇子が おすまいになっている御殿の上に、大空から伝えて来る雪ではないが、その「ゆき」ということばのように、ゆきかよいながら、いよいよ変わらず長き世までお仕え申します」

「仏祖と大悟の関係」仏祖の大道は綿々として間断無く伝えられ、曾之優れた業績は坦々として到るところに願われている。ある時には、悟り