「仏祖と大悟2「仏祖は必ず大いなる悟りによってここに到るものとものと学ぶべきではあるが、しかも必ずしも、大悟の渾然とまどかなるをのみ仏祖とするでもなく、また、仏祖の渾然としてまったき仏祖をのみ完全なる大悟とするわけではない。むしろ、仏祖はしばしば大悟のほとりから遠く跳び出すのであり、また、大悟というものには、遥かに仏祖をこえて超出するおもむきがあるのである。(道元:正法眼蔵・大悟)
万葉集「矢釣山 木立不見 落乱 雪さわける 朝楽毛」(やつりやま こだちも みえずふりまがひ ゆきのさわける あしたたのしも)「八釣山の木立も見えないように散りかう雪の乱れている朝は楽しいことよ」