沢山あるところにほんの些少を加えるのが大悟であり、少ししかないところからほんの些少を減ずるのが迷いである。いずれにしてもたいした違いはない。だからして、迷える者さがしもとめ、捉えてみればそれが大悟底の人であったということにもなろう。では今の自分はいったい迷っているのか、迷っていないのかそこをよく点検してみるがよい。それが仏祖に参見するというものである。(道元:正法眼蔵・大悟)