「仏向上事とは」その2・仏を超えることが実現してもその時には「まだそなたたちには判らない」ということである。判らないというのはその境地にいたることは、判っていたるものではないからである。なでわからないかというと、舌に妨げられてわからないのであり、耳に礙げられて判らないのであり、眼に穿たれて判らないのであり、身心に塞がれて判らないのである。そうしたことの故に判らないのである。判らないというのは話だからというものではない。ただ話している時には判らないというだけである。洞山が話しているときには判らないであろうということは、その話は徹頭徹尾、そのことの他のことではないけれでも、やはり、ことばがことばにからまって、ことばに碍げられるのである。(道元:正法眼蔵・仏向上事)