「われらはこの世界のなかにそなわる調度である。」それは、われらの身心のこの世界におけるありようが、まことは、わが物ではなく、わが思うままににならないから、そうだと知れるのである。この身がすでにわたしのものではないのである。生命は時間とともに移るろうて、しばしの程もとどまることができない、若き日の紅顔はいったい何処にいってしまったのか。尋ねようとしても跡かたもない。つくづくと思うてはみるけれども、過ぎ去った事にはもはやふたたび遇うことはできない。心もまたとどまらず、ただあれこれと往き来するばかりである。たとい、心はまことに存するものだとしても、かならずしもわが事わが物のまわりに停滞しているわけでもない。(道元:正法眼蔵・恁麼)