「風鈴の鳴るをどう感じるか」僧伽難提尊者がある時、法嗣の伽耶舎多に、軒端にかけた風鈴が風に吹かれて鳴るのを聞いて問うた。「あれは風がなるのであろうか、鈴が鳴るのであろうか」伽耶舎多は答えていった。「風が鳴るのでも、鈴が鳴るのでもございません。わが心が鳴るのでございます。」尊者はまた問うた。「その心というのは、また何んであるか。」伽耶舎多は答えていった。「いずれも静寂だ

らでございます。」風が吹くことが静寂であれば、鈴の鳴ることも静寂である。それぞれがそれになりきっている境地をいえばただ風が鳴き、鈴か鳴くのである。尊者はいった「善いかな、善いかな。わが道を嗣ぐべきものは、汝のほかない。」かくて僧伽難提尊者は、ついに伽耶舎多に正法の眼睛を伝えた。(道元:正法眼蔵・恁麼)