「仏智とは」ここにいう仏智とは人から学ものではなく、自ら起こすものでもない。仏智が仏智を求めるのである。仏智は他たからやってくるものでもなく。他から入ってくるのでもない。それはちょうど春の神が春に逢うようなものである。仏智は念慮でもなく、念慮のないことでもない。仏智は有の心でもなく、無の心でもない。ましてやそれは、大小、迷悟の差別にかかかわらないものである。仏の教えをきいて恩愛を軽んじて、自分の身を忘れ投げ捨てたということは、仏智をもつ身心が、すでに自己を捨てているからである。この事実は、仏智があけば仏道を聞くことができ、聞く事があれば「たちまち信じて了解する」という道理がある。(道元:正法眼蔵・恁麼)