「無智による疑いは、永遠の損失である。」〘法華経・薬草喩品)という仏語がある。仏智そのものは、有ともいえず、無ともいえないが、有のときは一切が有であり、無のときは、一切が無である。有も無も一時のもの、一時の現象にすぎない。無智のとひ、仏道も一切世界のすべてのものごとがみな疑わしくなる。ことときは永遠の損失をうけるのである。聞くべき言葉、悟るべき教えは、みな疑わしくなる。しかしそのものは如何に疑っても、仏道も仏智も私のむ所有のものではない。どのように疑い迷っても「一切の諸仏の世界において、ただ有るものは唯一の仏道がある」ばかりでなのである。有智と無智は日と月のように互いに対立するものでありながら、対立を超えたものである。そのような道理を六祖は悟ったのである。(道元:正法眼蔵・恁麼)