「六祖慧能の行持」六祖慧能はもとは神州の木こりであった。あるとき街角でお経の一句を聞いてから老母を捨てて黄梅山の五祖行忍の門下に投じて、、八ヶ月の間、師の命になり、昼夜をとわず石臼を搗いていた。ある夜半、師の衣鉢の正伝を受けた。その後も石臼を背負い歩くこと8年におよんだ・師となり説法するにあたっても、おその石臼を捨てず米を搗くという誠に希世の行持であった。 (道元:正法眼蔵・行持)
「六祖慧能の行持」六祖慧能はもとは神州の木こりであった。あるとき街角でお経の一句を聞いてから老母を捨てて黄梅山の五祖行忍の門下に投じて、、八ヶ月の間、師の命になり、昼夜をとわず石臼を搗いていた。ある夜半、師の衣鉢の正伝を受けた。その後も石臼を背負い歩くこと8年におよんだ・師となり説法するにあたっても、おその石臼を捨てず米を搗くという誠に希世の行持であった。 (道元:正法眼蔵・行持)