「趙州従諗(じようしゅうじゆうしん)の行持」従諗和尚は齢61歳にしてはじめて発心し求道のこころざしをおこした。諸方を行脚し常に自らを戒めていた。「たとい七歳の童子であろうとも、もしわれに勝らば、われすなわち師に問わん。百歳の老翁も、吾に及ばざれば、すなわち彼に教えよう」と。彼が趙州に寸だ野は八十歳以後のことである。まさに正法を正伝して、人みな古仏と称した。行持の最も大事なことは叢林を離れないことである。叢林を離れないからすべてのことばが脱落するのである。叢林はつねに寂黙のところだからである。この叢林を離れざる行持とは、しずかに行持しなければならない。東の風が吹けば、東にゆれ、西の風が吹けば西になびいてははならない。十年五年の春風秋月には誰れも気がつくものはなくとも、澄み切った顔色と音声のことばがある。それはわれわれには知らず理解されないが、ただ寸陰の行持を惜しむがよいと学がよい。(道元:正法眼蔵・行持)
「叢林とは禅院の意