「大梅法常の行持」法常禅師は馬祖道一に「いったい仏とは何でござるか」と問うた。馬祖は答えていった。「つまり心である。」法常はその一言で大悟した。法常は、しいつも絶頂にのぼって人々にまじわることなくただ一人草案に居し松の実を食べ、蓮の葉を衣としていた。禅師は仏法を学ぶこと30年。ただ四方の山々が緑になり、あるいは黄色になるだけを見るだけであった。その禅師が坐禅をするときは、高さ8寸におよぶ鉄の塔をひとつ頭頂をおいたという。その塔を地に落とさない為には決して居眠りなどすることがないのである。こののようにして仏法を学こと死にいたるまでなんのおこたりもなかった。利を愛する人々が名利ゆたかにしてはじめて立派な仏法者であるなどと思うのは小さな量見に過ぎない愚論である。(道元:正法眼蔵・行持)