「五祖法演の行持」「出家した者が、堂々たる殿堂を居所としようなどとは、人にも恥じ、自分にも愧(はず)ずへきである。」わが仏が仰せられたことには、時まさに人寿しだいに減ずるの時にあたって、高き岸は深き谷とかわり、変遷つねならず。この時にあたっては、いずくんぞ円満如意にして、これで満足だというべきものをもとめることができようぞ。昔からの聖者たちは、たいてい、樹下に坐し、露地を経行された。それが古来からのすぐれた範例であり、学ぶべき行履というものである。しかるに、汝たちは、出家して仏道を学といえども、なお手をうごかし、脚をはこぶことも、まだおだやからにはまいらぬ。年配も四十、五十というわかさであろう。いったい、誰がひまがあって、立派な建物をつくろうというのだ。出家した者が、堂々たる殿堂を居所としようなどとは、人にも恥じ、自分にも愧(はず)ずへきである。