「宏智正覚のこと3」もし幸いにして生前に名利をなげすてて、なんぞ一事を行じつづけることもあらば、それは仏法久住のゆえに、仏法によって長久の行持となろう。いま、わたしどもの行持も、きっとそのような行為に支持されているにちがいない。そのような行持をそなえた身心は、じぶんでも大事なしなければならない。また、自分でもそれを敬うがよいのである。(道元:正法眼蔵・行持)