「一日の行持」一日にても行持ある日があってこそ、それこそ髺中(けいちゅう)の明珠というものである。一日こそまことに喜ぶべき一日というものである。一日でもみごと行持を成就するならばそれは一生の百歳を成就するのみではない。また百歳の多生をもすくうことができるのである。この一日の身命こそは、誠に尊ぶべき身命であり、たつとぶべき姿である。そのゆえをもって、たとい生くること一日たりとも、もろもろの仏の心にあうことができるならば、この一日もってながいながい多年にもすぐれているものだとするのである。一日をもむだにせず一日こそ大切にしなければならない。(道元:正法眼蔵・行持)