「一日を徒に過ごさない」古来の聖賢は日月を惜しみ、時間を惜しむこと、わが眼晴(ひとみ)よりも惜しみ、わが国土よりも惜しむ。徒に過ごさぬということは、道にあって常に道のためにすることである。ただひたすらに道のために行じ、また古えからの仏祖は決して一日も無駄なことに心を用いることでないこと、されば春日遅々として花開くの日も、明窓のもとに坐して道をおもうがよく、蕭蕭(しょうしょう)として<もの淋しい雨の夜も草庵に坐して道をわすれてはならぬ。(道元:正法眼蔵・行持)
「一日を徒に過ごさない」古来の聖賢は日月を惜しみ、時間を惜しむこと、わが眼晴(ひとみ)よりも惜しみ、わが国土よりも惜しむ。徒に過ごさぬということは、道にあって常に道のためにすることである。ただひたすらに道のために行じ、また古えからの仏祖は決して一日も無駄なことに心を用いることでないこと、されば春日遅々として花開くの日も、明窓のもとに坐して道をおもうがよく、蕭蕭(しょうしょう)として<もの淋しい雨の夜も草庵に坐して道をわすれてはならぬ。(道元:正法眼蔵・行持)