「香厳智閑の行持」「智閑禅師は、潙山霊祐のもとにあって道を求めていたとき、一句をいわんとして力4めること数番、ついに道うことができなかった。智閑はそれを悲しみ、もてる書籍を火に焚いて、行粥飯僧として年月を送ったが、のち武当山に入って大証禅師の跡をたずね、草を結んで庵となし、すべて放下して幽棲した。しかねるにある日のこと、道を箒き浄めよあとして、礫がとんで竹にあたり、かっと声をなすを聞き、忽然として悟る事があった。後に香厳寺に住して、一鉢一衣の生活を続け常にかえることがなかった。(道元:正法眼蔵・行持)