行持下「菩提達磨の西来」中国の初祖達磨大師が西の方天竺から中国に来られたのは、般若多羅尊者の命によるものであ。航海3年の歳月は命を惜しむ世の常の人々には思いもよらないことであるが、迷える人々を救おうとする大慈悲心からきた行というものであろう。金陵にいたって梁の武帝と会見した。武帝は問うていう。「朕は即位より、このかた、寺を造り、経を写し、僧を度すること、記すことができないほどである。どんな功徳があろうか。」達磨はいった。「いずれも功徳はない]武帝は言う。「なんで功徳がないのだ」達磨はいった。「それらはただ人々(にんにん)の小さな果というもので、かえって、煩悩の因である。影の形にしたがうようなもので有りとはいえど実ではない」武帝はいった。「では、いかなるが真の功徳というものであるか」達磨はいった。「淨智はまことに円(まろ)やかにして、諸法はもともと空々寂々たるものであるが、そのような功徳は、この世に求める者はいない」武帝はまた問う。「いったい、仏教のおしえる最も大事なことは何であろうか」達磨はいった。「廓然無聖でござる」武帝はいった。「朕に対しているのは誰であるか。」達磨は曰く。「識らない」(廓然無聖とは、大空のごとく広々として、聖も非聖もない境地をいう)