「行持下」初祖達磨大師は釈迦牟尼仏から28代目の正嫡の法嗣である。この初祖が中国にこられなかったならば、どうして仏の正法を見聞することをえたであろうか。いま私たちは、よく正法を聞くことを得、正しい教法を見聞することができるというのは、全てこの初祖の海を航して到りたもうた行によるものである。人を知る人というものは稀である。かくて達磨大師はしばらく嵩山にとどまり、いつしか九年を経た。人々はこれを称して「面壁の婆羅門」と呼んだ。仏そが相伝する正法の眼晴をまさしく伝える者はただひとりこの師のみであった。