「祖師再来を論ずる」梁の普通年間以後なお天竺に赴くものがあるがそれはなんのためであるか。いたずらに西域に流浪するのみである。仏法をもとめるという名目はあるけれども、仏法を求めるという求道心がないからして彼の地にいたっても正師にあわずいだらに論師や経師あっておる。正師が彼の地にあっても正法をこそ求めようとする心がないため彼らは正法を手に入れることを得ないのである。(道元:正法眼蔵・行持(下))