「慧可の行持」慧可は少林寺の達磨への入門のため十二月初旬の九日の夜であった。深山高峰の冬の夜は、、たとい雨雪おおいにいたらずとも、思いやるだに寒さきびしく、とても人が屋外に立っているなどとはできない。それなのに、その時は、大雪がすっかり大地を覆い尽くして、山を埋め峰を覆うていた。その中を慧可は雪を踏みわけ、道歩を求めて進んだ。やっと少林寺に着いたが、入室を許るされなかった。その夜、慧可は眠ることも、坐ることもすらできなかった。ただじっと立ち尽くして夜の明けるのを待っていると雪はまことに無情であった。雪はだんだんと積もり腰を埋めた。その中で彼はそうこう思ったという。「昔の人が道を求めるには、骨をたたいてその髄をとり、血をしぼって飢えた者を救うという事もあり、また、髪を布(し)いて泥を掩(おお)い、崖より身を投じて飢えたる虎を養ったという話もある。古人にしてなおそのようであったというのに、わたしはいったい何者であるか」そのように思うと、志をはげます気持ちがふるいおこった。(道元:正法眼蔵・行持)