「報謝の行持」「こんにちわたしどもはこうして正法を見聞することができる。この仏祖の恩はかならず報いて謝さねばならない。日々の行持これこそまさにその報謝の正しい道であるとしなけれじならない。そのありようは、日々の生命をなおざりにせず、わたくしごときに費やさないようにと、心して行ずるのである。その故はいかにとならば、この生命は、まえまえからの行持のおかげであり、行持の大恩である。それはいそぎ報謝しなければならない。(道元:正法眼蔵・行持)