「玄沙師備の行持」玄沙は30歳出出家の志をおこし芙蓉山の霊訓禅師野本に身を投じて髪を剃り、さらに江南の開元寺の道玄律師に依って出家の戒をうけた。綿布の衣をつけ、わら靴を履き、食はわずかに命をつなぐだけで、いつも一日中坐禅していたのである。終日坐禅するといういった行持は稀なことで、いたずらに眼前の事物にひかれて、走りまわっている者は多いが、ひねもす坐禅につとめる人はまれである。後進としてこの道を行く者は、おのれに残された時間の少ないことを恐れて、終日の打坐をこそ努めるがよい。(道元:正法眼蔵・行持(下))