「天童如浄の行持」天童如浄禅師は、越のあたりの人である。十九歳にして教義のみを学ぶことを捨てて、禅門にいたり、七十歳に到っても罷(や)むことがなかった。寧宗(ねいそう)皇帝より紫衣ならびに禅師の御沙汰があったがこれを受けず、上表の文を草して拝辞した。四方の修僧たちは、みなこの人を崇敬した。遠近の有識者もこの人の徳を讃えた。皇帝もこのことをおおいに悦びお茶を賜った。聞く者は、みた世にも珍しいことと賛嘆した。これこそまことに出家たる者の真実の出処進退というものである。(道元:正法眼蔵・行持下)
「天童如浄の行持」天童如浄禅師は、越のあたりの人である。十九歳にして教義のみを学ぶことを捨てて、禅門にいたり、七十歳に到っても罷(や)むことがなかった。寧宗(ねいそう)皇帝より紫衣ならびに禅師の御沙汰があったがこれを受けず、上表の文を草して拝辞した。四方の修僧たちは、みなこの人を崇敬した。遠近の有識者もこの人の徳を讃えた。皇帝もこのことをおおいに悦びお茶を賜った。聞く者は、みた世にも珍しいことと賛嘆した。これこそまことに出家たる者の真実の出処進退というものである。(道元:正法眼蔵・行持下)