青山の運歩は休まない。「青山の運歩はその疾きこと風よりも速やかである。もし山の運歩を疑うならそれは自己の運歩をまだ知らないのである。自己にも運歩がないわけではない。まだ自己のの運歩を知らないだけである。それを明らかにしないだけである。青山はもとより生き物であるわけではなく、生き物でもないわけでない。自己もまた生き物であるわけではなく、ないわけでもない。とするならばいま青山の運歩を疑うなどとはありえないことである。もしその運歩の休む時があったならば仏祖の現れることもなかったであろう。もしその運歩に終わりがあったならば仏法はこんな地に到らなかったであろう。(道元:正法眼蔵・山水経)