山は真理を現している。「山のはたらきのすべてが真理を現している。山には山の歩みがあり、山の流れがあり、時には山が児を山を生むこともある。山が山を学んで仏祖となり、仏祖もまたそこから出現してくるのである。たとい、草木・土石・牆壁のみが眼の前に現れてきても、疑ったり迷ったりしてはならない。それで山の全てが成っているわけではない。またそれが素晴らしい宝のように見えたとしても、それは決して実相ではない。たとい諸仏の修行の場のようにみえても、それに愛著すべきではない。たといそれが諸仏の不思議な功徳とうなずけようとも、真実はただそれだけではない。(道元:正法眼蔵・山水経)