「東山は水上を行く」東山というは、諸山である。そしてすべての東山が水上を行く。それによって須弥山やその他の山々が形成されその姿をなした。それをと東山といっておるのである。そしてこれは仏祖の骨髄であることを知らねばならない。もろもろの水は諸山の脚下にあらわれる。だから諸山は雲に乗って天を歩むのである。もろもろの水の頂きは諸山である。のぼるにも、くだるにも、その行歩はともに水上である。諸山の爪先はよくもろもろの水を踏んであるき、もろみろの水はその足下にほとばしり出でる。かくてその運歩は縦横自在にして、もろもろのことが自然にして成るのである。水は強にあらず弱にあらず、湿にあらず乾にあらず、動にあらず静にあらず、冷にあらず暖にあらず、有にあらず無にあらず、迷にあらず悟にあらず。凝りて金剛よりも堅くしてよく破るものなく、融けては乳よりも柔かにして、誰もこれを壊すこと歯できない。(道元:正法眼蔵・山水経)