「ある経典に、時には、火風は上にのぼり、地と水はしたくだるという」その上下について研究してみると、それは仏道ののぼり下りをいうのである。つまり、地と水のいくところを下とするのであって、下を地と水のゆくところとするものではない。また、火と風のゆくところを上であるとするのみである。法界はかならずしも、上下・四方の規準によるものではなく、かりに四大・五大・六大(この世界を構成する要素を四つ、五つ、六つ)などの行くところによってその方角をさだめているだけである。無想天(無想定を修してこの天に生まれれば念想ことごとく滅するという)は上にあり、阿鼻地獄(無間地獄であって苦を受けること間断なし)は下にあるとするのではない。阿鼻地獄もそのまま法界であり、無想天もそのまま法界全体である。(道元:正法眼蔵・山水経)