今人間は、海の心、河の心と、ふかく水を知っているようであるが、なお、竜魚などはどういうものを水と見、水と思っているのかはまだ知らない。自分が水と思っているものを、いずれの類のものも水ととして用いているであろうと思ってはならない。いま仏教を学ぶ人々は、水を考える場合にも、ひたぶるに人間の立場に固執してはならない。進んで仏教の水の考え方を学がよい。仏祖が用いるところの水を、自分はどう考えているのか。また仏祖の家においては、水があるかないか、そのようなことを学びいたるがよい。(道元:正法眼蔵・山水経)