「山は大聖のいますところである。」「山ははるかなる古より大聖の居すところである。賢人・聖者はともに山を住いとちし、山を身心となした。聖人・賢人にょって山は山としてのその意味を実現したのである。いったい山にはどれほどの大聖・大賢が入ったことであろうかと思うのであるが、山に入ってからは、誰も互いに相逢ううようなことはなかった。ただ、山のはたらきが現れるのみである。山に入った跡さえも残ってはいないのである。(道元:正法眼蔵・山水経)