「山は聖賢・聖者の住まい」帝王がしばしば山に赴いて賢人を拝し、聖者を訪ねるというのも、古来からの習わしであある。その時に、師に対する礼をもって敬意を表し、民間の定めに準ずることはない。たとい帝王の徳化のおよぶところであっても、決して山住の聖賢を強いることはない。山は人間社会を離れたものであることが知られるであろう。かって中国においては、皇帝が崆峒山に住む仙人広成子を訪ね、膝行し、叩頭して問う0たということもある。釈尊はかって父王の宮殿をいでて山に入った。だが父王は山をうらまず、また山にあって太子を教える者どもを怪しまず、かくして釈尊の12年の修行はたいてい山でのことであった。また、仏の成道もまた山であってのことである。まことに王も山を強いることはない。よって知るべきである。山は人間社会のものにあらず、また高き天のものでもないのであり、人の思い測りをもって山を推し側ることはできない。もし人間社会のならいに準えて考えなければ、誰が「山は流れる」とか「山は流れぬ」などという表現に頭を傾げようか。(道元:正法眼蔵・山水経)