本来無一物
弘忍の弟子慧能は 菩提本無樹 明鏡亦非台 本来無一物 何処惹塵埃 とその意は「菩提という樹も 明鏡という心も無い 菩提も無ければ煩悩もない 本来無一物だ 塵埃のよりつくところ無いから払拭の必要もないではないか」
神秀は後に北宗禅、慧能の禅は南宗禅と呼ばれた。北宗禅は修行の積み上げと順を踏んでゆくところに重点を置くので漸悟といい、慧能の南宗禅は頓悟といいます。
本来無一物
弘忍の弟子慧能は 菩提本無樹 明鏡亦非台 本来無一物 何処惹塵埃 とその意は「菩提という樹も 明鏡という心も無い 菩提も無ければ煩悩もない 本来無一物だ 塵埃のよりつくところ無いから払拭の必要もないではないか」
神秀は後に北宗禅、慧能の禅は南宗禅と呼ばれた。北宗禅は修行の積み上げと順を踏んでゆくところに重点を置くので漸悟といい、慧能の南宗禅は頓悟といいます。