「水は水そのもの」水は即ち真竜の住むところであって、それはただ流れ落ちるのみではない。流れるのみだというのは、そのことばがすでに水を謗っているのである。たから、たとえば、水は流るるにあらずと無理にもいわねはならないのである。水は水のあるがままの姿でよいのである。水は水そものであって、流れではないのである。一つの水の流るるをきわめ、流れざるを究むれば、あらゆる存在を究め尽くすこともたちまちにしてなるのである。また、山にも、宝にかくれる山があり、沢にかくれる山があり、空にかくれる山があり、山にかくれる山がある。そのかくれるところに山の山たる所以があることを学ぶべきである。(道元:正法眼蔵・山水経)