「嗣法とは」仏はかならず仏に法を嗣ぎ、祖はかならず祖に法を嗣ぐ。その時、両者の証(あか)しするところはぴたりと相契い、一人から一人へと心にきざむところが伝えられる(直指単伝)。だからこそ、その証しするところが、最高のさとりである。けだし、仏でなくては仏の心にきざむところを悟ることはできないし、仏の心にきざむところを悟りえなければ仏となることはできないからである。仏でなくて誰んがそれを最尊のものと知り、最高のものと諾(うべ)なうことができようか。かくて、仏の心に印するところを証しするとき、師なくして独り悟るのであり、あるいは自己なくして独り悟る。その故に仏と仏とがさとりを相承し、祖と祖とがさとりを同じゅうするのである。(道元:正法眼蔵・嗣書)