「石は石に相嗣ぐ」「石は石に相嗣ぎ、玉は玉に相嗣ぐということであり、あるいは、菊は菊の相嗣があり、松は松の心を相嗣ぐのであるから、すべて前の菊と後の菊とが相ひとしく、さきの松とあとの松とがぴたりと相契うということである。そのところが判らない人では、たまたま仏祖正伝の道にめぐり遇うことがあっても、これは一体どういうことであろうか。怪しむことすらありえまい。ましてや仏と仏とが相嗣ぎ、祖と祖のさとりとりが相契うなどとは、とても解ろうはずがない。それでは可哀だが、仏教者には似ていてもとうてい仏の子とはいい難いし、子なる仏とも言い得ないのである。(道元:正法眼・嗣書)